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  • tetsujiro369

写真家たちの偶像

第一回 ヴィヴィアンマイヤー 妄執のローライフレックス

名もなき写真家たちはたくさんいます。名を売ることが芸術家の至上命題であるように強迫観念に囚われた時代では名もなきものは写真家として名乗ることもまかり通りません。

そんな世知辛い世界に、ヴィヴィアンは目もくれず、首から下げたローライフレックス で息をするようにシャッターを切っていました。

彼女が生前撮った写真の枚数は15万枚以上。デジタルではなくフィルムです。どんなに枚数を重ねる写真家であってもフィルムでそのような枚数を撮ることは難しく異常です。しかも彼女はそれらを発信することも発表することもなく他界します。

大量のネガを地元のオークションで落札したジョン・マルーフという青年がネットにアップしたことで脚光を浴びます。

現像すらしていないフィルムも大量にあったそうです。普通の感覚であれば、自分の撮った写真は確認をしたいと思ったり、上手く撮れていれば、誰かに見せたいと思うものです。

売れたいと思っている写真家たちの思いを横に鼻で笑うかのような行動の真意は何だったのでしょうか?

1926年2月1日、ニューヨークに生まれ、母はフランス人で、父親はオーストリア人。ヴィヴィアン・ドロシー・マイヤー。シカゴで40年乳母として生計を立てている傍で、写真を撮っていたようです。

先ほど、15万枚もの写真を撮っていたと言いましたが、乳母をしていた期間でこの枚数です。仕事の傍で撮る枚数ではありません。デジタルのようには撮れないローライでです。一枚撮るごとにクランクを回さないといけないし、6✖️6のフィルムの場合は12枚しか撮れませんし、フィルム装填も結構煩わしいです。自分も使っているのでよくわかります。

そんなヴィヴィアンですが、乳母として今のベビーシッターのような仕事を始めた時は、子供たちに対しても寛容で、問題のない人柄だったよう。休日にはローライと共にシカゴの街を散歩しながら写真を撮っていたようです。

しかしながら、ヴィヴィアンの様子は次第に変化していきます。1970年ごろになるとトークショーの司会者などの家政婦として働いていたようなんですが、なぜか彼女の持ち物は200箱分の要領があったとの証言もあり、元々物を捨てることができない性格なのが、その頃からより顕著になっていったようです。

その大半のものは写真のネガであったそうですが、新聞、靴、服なども大量にあったそうです。

そのほかには自分と会話した人の録音テープなどもあったそう。何か、少しづつ彼女の中で変わっていくものがあったんでしょうか?

また、ドキュメンタリー映画の「ヴィヴィアンマイヤーを探して」で雇用主や世話を受けた子供たちのインタビューの中には中年以降の彼女の気性の激しさを物語るものもあり、やや常軌を逸した言動が現れていたようです。

そのため、乳母の仕事も次第になくなり、晩年は貧しさと狂気に苛まれるようになっていったようです。

ヴィヴィアンに何が起こったのでしょうか?

彼女はなぜネガを死ぬ寸前までほどんど人に見せることなく、また引き伸ばしなどもせずに、必死に持っていたのでしょうか?

彼女に惹きつけられるのは、そういった謎めいた部分を想像させる要素があるからでしょうか?

もしかすると、作品として残そうと思っていたのか、自ら手焼きをすることを考えていたのか、晩年の狂気じみた言動とつながるところがあるのか?人に認めれない悲しさがあったのでしょうか、友人は一人もおらず、恋人もおらず、生涯の伴侶もなく、孤独に苛まれる中で、ローライのファインダーをのぞいていた彼女は何を記録したかったのでしょうか?

ヴィヴィアンの写真の中には膨大なポートレートがあります。写真を撮っている者からするとその距離感の近さに驚かされます。

街歩きの中で、これほどまでに近づきながら、自然体のままに写真に納めている。

一言声をかけて、人を撮るとこんな自然な表情はなかなか撮れません。中にはそのような写真もありますが、何かヴィヴィアンが求めていたのは、この距離感での人とのつながりであったのではないかと思ってしまうことがあります。

街の写真にしても、自分のポートレートが多いにしても、この街で私は生きているんだと、叫んでいるようにも見えました。

そして、自分の影の写真も多くあり、意識的にせよ無意識的にせよ、まるでこの都会で影のように生きているけれど、私は確かに生きていて、もっとあなたたちと本当は話したい、呼吸が聞こえるくらいの距離で。と言いう思いが伝わってくるのです。

皆さんはヴィヴィアンの写真を見てどのように感じるでしょうか?

そんなヴィヴィアンですが、2008年に氷上で転倒して、頭を強打し、病院に運ばれましたが、治療の甲斐なく、2009年4月21日に帰らぬ人となりました、

最後の最後まで孤独で、狂気に駆られながらもローライフレックスという箱の中に自分自身を詰め込んだ一生を送ったヴィヴィアンの投影である写真は時空を超えて、現代で多くの人に見られています。

彼女自身のポートレートに写る目は、悲しくも生きていこうとする意思の強さも窺い知ることができました。

辛いから死ぬのではなく、生きて行かれないから辛いんだと思いながらも、そこにしがみつこうとしたヴィヴィアンの生きた証が写真のネガであったのではないかと思います。

今回から写真家たちの偶像として、ヴィヴィアンマイヤーを紹介しました。ヴィヴィアンの写真は作品というより、生きてきた軌跡というものですが、ぜひその写真に触れてみてください。


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