検索
  • tetsujiro369

写真家と寫眞家

最終更新: 2020年9月23日

ホームページで写真を見てもらうだけではと思い立って、文字を起こしてみることにした。 まあ、大したこともなく過ぎていく毎日だから、ネタというもあまりないんで、気ままに書いて行く。


基本的に気分屋だし、やることといえば、寫眞を撮る、現像する、引き伸ばしをする。


それくらいしかない。あとはそれをするために生きる、それだけ。


表題にあるように、自分は写真で飯を食っているわけだから写真家の端くれと言えなくもない。別の写真家の定義があるわけでもないので、食えていなくても写真家は写真家だろうと思う。


ただ、写真家ではない。寫眞家だ。


旧字体で読んで欲しいと思っている。写真家って字がなんだか浮ついていて好きになれない


寫眞って漢字にすると、何だか職人っぽくて好きだ。


アナログ寫眞、モノクロフィルム専門に活動していて、シリアスフォトグラファーという肩書を名乗っている。


アナログ寫眞で作品を作る理由は、デジタルはもう人間の機械じゃないと感じたから。


あれは神かはたまたAIかなんかが持つ機械だと思う。あまりにも無限で、手におえない。


アナログ寫眞は、ピアノの鍵盤のように制限がある。その中から生み出すことが無限で、


それ自体は無限じゃないと感じたから。人間が持つことができる、制御できることは限られている。


それ以上のものをやろうとすると創造性は破綻する。


だから、自分は寫眞家であろうとする。


今後も変われない。変わるつもりもないが、アナログ寫眞こそが寫眞芸術だと言える。


それ以外は無限性の機械の競争でしかない。



1回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

眠れぬ毎日の中で、長い深夜の時間を過ごす方法は人それぞれあると思うが、 自分はもっぱら映画を見てコーヒーを飲んでいる。 暗室作業のない時は、映画を見た後に、朝日を眺めてから眠りにつくことが多い。 寫眞家は光を追いかけているのに、生活は闇の中で過ごす。 今日見た映画は『光』という題名のものだった。 自分は映画を見る時は先入観なしに見たいので、レビューなどは見ない。 初めて見た映画だった。河瀬直美と言

人は去って行くもの

表題の通りだが、人は去って行く。 流れるように。自分には一人の友人もいない。 全て去っていった。寫眞家として活動し始めてからはまるっきり一人だ。 しかしそれでいい。 ただただ自分との対話の中でしか、自分の表現したいことは見つからない。 全てがゼロになれば、残ったものは自分の身だから。 今までこんなにも自分自身と対話をしてきただろうか? ひたすらに、今日も自分と対話をする。